バウムクーヘンの一層一層をなす、しっとりした生地。
これは卵黄と卵白を別々に泡立てるのがポイント(別立て法)。
卵黄のもつ乳化性(水と油を混ぜる作用)と卵白のもつ起泡性が、生地をしっとりふんわり作り上げているのです。

ドイツの伝統菓子、バウムクーヘン。
ドイツ菓子の王様バウムクーヘン。それを日本で初めて焼いたのは当社の創始者、カール・ユーハイムでした。
中国・青島(チンタオ)で菓子店を経営していたカールは、第一次世界大戦で進軍した日本軍に強制連行され、多くのドイツ人とともに広島県似島にいました。広島物産陳列館(現在の原爆ドーム)で開かれたドイツ俘虜製作品展覧会に、カールがバウムクーヘンを出品したのは、1919年のこと。樫の木を芯棒にして手でまわしながら生地を掛けていくという非常に手間と時間のかかる製法でした。カールはドイツ人としての誇りとお菓子への情熱を一層一層に込めて焼き上げました。それが日本最初のバウムクーヘンです。そのしっとりとしたおいしさは、会場を訪れた日本人を驚かせ、アッという間に売り切れてしまいました。
俘虜解放後、カールは日本で菓子店を開店。店頭にいつもディスプレイされたバウムクーヘンは当時「ピラミッドケーキ」と呼ばれ、カールがお客様の注文に応じて物差しも使わずに正確に切り分けて売っていました。1960年代に入るとその名は「ピラミッドケーキ」から「バウムクーヘン」に改められて一般的に知られるようになりました。
創業当時の本店。
後方の棚にバウムクーヘンが見えます。
カールが初めて焼き上げた時から現在にいたるまで、バウムクーヘンは多くの人に愛されてきました。その秘密は、カールの製法がユーハイムのマイスター達の手によってそのまま受け継がれているからです。純正自然な材料だけを使うというおいしさへのこだわりも、創業以来100年、変わることはありません。

1960年代のバウムクーヘン。
木の年輪をデザインしたパッケージでした。

1970年当時のバウムクーヘン。
ドイツの古城がパッケージのシンボル。

1983〜2003年、21年間親しまれた缶のパッケージ。

2003年、長年続いた缶のパッケージから紙箱へと変わりました。

2004年、ドイツのデザインスタジオ、ペーター・シュミット・グループにより、ユーハイムのロゴデザイン及びパッケージデザインが新しくなりました。

2009年、創業100周年を記念してロゴデザイン及びパッケージデザインが新しくなりました。

ユーハイムは創業以来、不必要な添加物等を使用しない商品づくりを続けています。
主な材料は、卵・砂糖・バター・小麦粉。保存料・防腐剤・酸化防止剤・添加物等は使用しておりません。創業以来の美味しさを今なお保っているのは上質な材料、職人の技、そして創始者ユーハイム夫妻の「体のためになるから美味しい」を心に刻んで作っているからです。

ドイツ人は一年中、季節を問わず森を散歩するのが好きだといいます。四季の移り変わりを鮮やかにみせてくれる森は、ドイツ人にとってなくてはならない自然の宝庫。そんな森の国ドイツだから、森にまつわるお菓子がうまれるのも納得です。
バウムクーヘンがドイツ語で「木のお菓子」を意味するのは、焼きあがった層が木の年輪を連想させるからというのが定説です。また一方でその由来にはもうひとつの説があります。それはバウムクーヘンの心棒がかつて樫の木だったから、という説です。古来、樫の木はドイツでは特別な木であり、ドイツの森のシンボルでした。ドイツで親しまれた木としては、菩提樹のほうが古いのですが、菩提樹が「愛と憧れと優しさのシンボル」だといわれるのに対して、樫の木は「堅牢さ、強さのシンボル」でした。
そんな由来もあってか、バウムクーヘンはまさしく、ドイツ菓子の王様です。ドイツの菓子組合はバウムクーヘンをそのシンボルマークとしていますし、ドイツの菓子職人は立派なバウムクーヘンが上手に焼けてはじめて一人前の職人といわれます。
カール・ユーハイムが日本ではじめてバウムクーヘンを焼き上げたのは90年前の1919年ですが、当時はドイツでもバウムクーヘンの黄金時代で美食家の間で銘菓としてもてはやされました。
その美食家のひとりにビスマルクがあげられます。
19世紀の政治家ビスマルクが美食家であったことは大変有名で今日でも「ビスマルク風にしんの酢漬け」など、ビスマルク風と名のつく料理が伝わっています。
ビスマルクが大変好んだのは、「バウムクーヘン・シュピッツ Baumkuchen Spitz」といわれるもので、小さくカットしてジャムをはさみ、チョコレートをかけたかわいらしいバウムクーヘンです。